第二十番札所 福大山 慈眼院 大瀧寺(ふくだいさん じげんいん おおたきじ)
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大瀧寺について

四国別格二十霊場第二十番札所大瀧寺は、徳島県美馬市と香川県高松市の境にそびえる大滝山(標高946メートル)の山頂近く、標高およそ910メートルの地に境内を構える霊場です。
別格二十霊場の中でも、四国八十八カ所を含めて最も高所に位置する寺院として知られています。

寺伝によりますと、その始まりは奈良時代の神亀3年(726年)にさかのぼり、行基菩薩が塩江の方より大滝山に登られ、阿讃山脈の秀峰に一宇を建立して阿弥陀三尊を安置されたことに始まると伝えられています。

弘法大師空海は、若き日に自著『三教指帰』の中で、阿波の大瀧嶽に登って求聞持法を修したことをはっきりと記しており、この大瀧嶽が当山を指すとも、あるいは阿南市の太龍寺(舎心嶽)を指すともいわれています。
平安時代前期の弘仁6年(815年)、42歳となった大師が二度目の登山をされた折には、現世に生きる男女の厄難を消し去り、万民の安楽を願って西照大権現の御尊像を安置され、法華経を一石ごとに書写し、男女の厄流しの秘法を修されたと伝えられています。
以来、当山は「厄流しの寺」として広く知られるようになりました。
この折、白髪の翁が忽然と現れ、みずからを大師の遠祖・天忍日命の使いであると告げ、古塚の場所を示したのち、蝦蟇の姿となって塚の中に姿を隠したという不思議な伝承も残されています。
大師はこれに深く感じ入り、この地に草庵を構えてその霊をお祀りになり、後にこの草庵を「大瀧寺」と改め、その神を「西照大権現」と号されたと伝えられています。

天安2年(858年)には聖宝尊師(理源大師)が登山され、高野槙をお手植えになり、男女の厄除け・厄流しの大護摩を修法されたと伝わります。
この法は今も当山に受け継がれています。

当山は、八十八番札所・大窪寺との関係も深く、東の大窪寺、西の大瀧寺として並び称され、江戸時代には徳島藩家老・稲田氏の祈願所となるとともに、高松藩からも篤い崇敬を受けました。
西照大権現堂、龍王堂、護摩堂、観音堂、不動堂、弘法大師御影堂、鐘楼堂、仁王門などの堂宇が立ち並び、阿波・讃岐の登山道には十八基の鳥居が設けられていたと伝えられ、脇町中央を流れる大谷川の最上流部には、今も「西照大権現」の扁額を掲げた石の鳥居が残されています。
また東方の山中には、奥之院熊野十二社大権現もあったと伝えられています。
しかし度重なる火災により多くの堂宇と宝財が失われ、とりわけ昭和45年(1970年)の大火では本堂をはじめ、さらに多くのものが焼失しました。

明治初期までは、隣接する西照神社とともに神仏混淆の山岳信仰の場「西照権現」として一体をなしていましたが、明治6年(1873年)の神仏分離令により、西側が大瀧寺、東側が西照神社として分離されました。
大正時代、良雅住職の代には大いに栄え、その弟子が大窪寺にも派遣されたと伝えられており、四国八十八カ所の結願を果たした遍路がさらに当山を訪れることも多かったことから、「四国八十八カ所総奥之院」とも称されるようになりました。
今日でも、四国別格札所を巡る遍路のみならず、健脚の遍路たちが徒歩でこの山上の霊場を目指して訪れています。

第二十番札所 福大山 慈眼院 大瀧寺(ふくだいさん じげんいん おおたきじ)

開山
行基菩薩
宗派
真言宗御室派 準別格本山
御本尊
西照大権現
御真言
南無西照大権現
御詠歌

霊峰の 岩間にひらく 法の道 厄をながして 衆生ぞすくわる

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大瀧寺アクセス情報

住所
〒779-3638 徳島県美馬市脇町字西大谷674
電話
0883-53-7910(受付時間:午前8時~午後5時)
FAX
0883-53-7910
拝観料
無料
納経時間
8:00~17:00
納経料金
納経帳 300円(重ね印 300円)/白衣 200円/掛け軸 500円
駐車場
あり:大型バス可
宿坊
なし
通夜堂
なし
公式サイト
https://www.otakiji-nishiterugu.com/
霊場会サイト
https://www.bekkaku.com/?page_id=55
Wikipedia
https://w.wiki/Sp7p

四国八十八ヶ所霊場/四国別格二十霊場

2026年6月15日(月)
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