神野寺の口コミ
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四国別格二十霊場第十七番札所神野寺は、「満濃池鎮護の寺」として知られ、日本最大級のため池である満濃池のほとりに境内を構える寺院です。
寺伝によりますと、弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅命を受けた弘法大師空海が、決壊していた満濃池の修築を任され、わずか3カ月という短期間でこれを完成させたと伝えられています。
この功績を大いにたたえられた大師は、天皇より褒賞を賜り、その恩賜をもって末世の民のためにと考えをめぐらせ、この地に神野寺を建立して満濃池鎮護の霊刹とされたと伝えられています。
満濃池の中には、大師が護摩法を修されたと伝わる「護摩壇岩」が今もその姿をとどめています。
大治5年(1130年)には座堂の再建と大門の営築が行われ、明徳4年(1393年)にも堂宇の再建がなされるなど、当寺は中世を通じてますます隆盛したと伝えられています。
この頃、当地の豪族であった矢原氏の保護を受けて栄えたともいわれています。
しかし天正9年(1581年)、戦国の兵火により伽藍のことごとくが焼失し、当寺は長い間廃寺となってしまいました。
当時の本尊であった聖観音立像は、難を逃れて近隣の恵光寺に移され、祀られたと伝えられています。
その後長らく時を経て、昭和7年(1932年)、上里法照を中心として「満濃大師会」が結成されました。
弘法大師御入定一千百年の御遠忌にあたる記念事業として神野寺の復興が計画され、昭和9年(1934年)、悲願であった伽藍の再建が果たされました。
昭和30年(1955年)には、満濃池堤防の第3次かさ上げ工事にともない、本堂が現在の地へと移築されています。
満濃池の堤防では、日曜・祝日に「かりん市」が開かれ、今も多くの人で賑わいを見せています。
また毎年、神野神社で行われる「初樋抜き式典」の後には、当寺において豊水祈願の護摩が焚かれ、制水弁が開かれるという伝統行事が今日まで受け継がれています。
令和元年(2019年)10月16日には、満濃池そのものが国の名勝に指定されました。
千二百年近い昔、弘法大師が民の暮らしを救うために成し遂げられた偉業は、幾多の興廃を経てなお、この地に静かに息づき続けています。
ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
2026年6月15日(月)
グランドオープン