金倉寺の口コミ
まだ口コミはありません。最初の口コミを書かれてみませんか?
ログイン後に口コミをお書きいただくと、後から編集、削除ができます。
また、口コミ数や内容により、ポイントを獲得できるようになります。(近日実装予定)
ログイン後に口コミをお書きいただくと、後から編集、削除ができます。
また、口コミ数や内容により、ポイントを獲得できるようになります。(近日実装予定)

投稿された写真はまだありません。
四国八十八ヶ所第七十六番札所である金倉寺は、天台寺門宗の開祖として知られる智証大師円珍の誕生の地として歴史的に重要な寺院です。
寺の創建は774年(宝亀5年)まで遡り、善通寺よりも約50年も古い歴史を持っています。
智証大師の祖父である和気道善によって最初は「自在王堂」として建立され、851年に官寺となった際に開基の名をとって「道善寺」と改称されました。
智証大師は幼名を日童丸といい、幼少期から非常に聡明な子供として知られていました。
2歳の頃には体から後光が射していたという伝説があり、5歳の時には訶利帝母(鬼子母神)という天女が現れ、その将来を予言したとされています。
智証大師は唐への留学から帰国後、故郷のこの寺に滞在し、唐の青龍寺を手本として伽藍を整備しました。
自らの手で刻んだ薬師如来を本尊として安置したことでも知られています。
928年(延長6年)には、醍醐天皇の勅命により、地名の金倉郷にちなんで「金倉寺」と改名されました。
かつては132もの坊を有する大寺院でしたが、南北朝時代や戦国時代の戦乱により多くの建造物が焼失。
しかし、智証大師の自画像と本尊は無事に残されました。
近代になると、明治31年(1898年)から約3年間、乃木希典将軍が善通寺第十一師団長を務めていた際に、客殿を仮住居としていたことでも知られ、現在でも将軍が使用した品々が寺内に保管されています。
まことにも神仏僧をひらくれば
真言加持の不思議なりけり