出石寺の口コミ
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四国別格二十霊場第七番札所出石寺は、標高812メートルの出石山の山上に伽藍をひろげる霊場です。
境内からは宇和方面の山々をはじめ、大洲盆地、久万高原方面までを一望することができます。
寺伝によりますと、開創は奈良時代初期の養老2年(718年)6月にさかのぼります。
宇和郷田中庄に住んでいた猟師・作右衛門が、狩りの最中に一匹の鹿を見つけて山中を追いかけ、まさに射止めようとしたその瞬間、山全体が激しく震動し、あたりは眩いばかりの光に包まれました。
鹿の姿はかき消え、その足元にあった岩が真っ二つに割れると、そこから千手観音菩薩と地蔵菩薩の像が金色の光を放ちながら湧き出してきたと伝えられています。
この不可思議な光景を目撃した作右衛門は、殺生を生業とする猟師の暮らしを捨てて仏門に入り、みずから「道教」と名乗るようになりました。
そして湧き出た仏像を本尊とし、この地に堂宇を建てて「雲峯山出石寺」と号したのが、当山開創のいわれとされています。
大同2年(807年)、この地を訪れた弘法大師空海が修行を行った際、山中に鉱山があることにちなんで「三国無双の金山」であるとたたえ、山号を「金山」に改めたと伝わります。
また後世、この本尊がぞんざいに扱われて冥罰を受ける者が出ることのないよう、空海は本尊を石室に閉じ込めて秘仏とし、護摩供を修法されたとも伝えられています。
空海自身の著作『聾瞽指帰』に見える一節も、この金山出石寺を指すものと解釈されており、若き日の空海がこの山に登ったことを示す証しとされています。
なお、山の北側には硫化銅石を産する鉱山跡が残り、明治43年(1910年)から昭和20年(1945年)頃まで、三菱鉱業によって実際に採掘が行われていました。
その後、当山はたびたび兵火に見舞われて興廃を繰り返しましたが、室町時代末期、大洲城に入っていた藤堂高虎が武運長久を祈って寺を重興しました。
江戸時代には宇和島藩伊達家や大洲藩主加藤家といった有力大名の帰依を受け、末寺七十二坊を数えるほどの隆盛を見せています。
昭和16年(1941年)には大火により伽藍の多くを失いましたが、昭和31年(1956年)に復興が果たされました。
近年では、平成29年(2017年)10月8日から17日にかけて、開山1300年を祝う「いづしまつり」が催され、50年に一度という本尊の御開帳もあわせて行われました。
くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ
2026年6月15日(月)
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