椿堂 常福寺の口コミ
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四国別格二十霊場第十四番札所椿堂常福寺は、「椿堂」の名で広く知られる寺院で、四国中央市東部、国道192号線沿いに境内を構えています。
六十五番札所三角寺、仙龍寺から六十六番雲辺寺へと向かう歩き遍路道にあたるため、今も多くの遍路が立ち寄る、交通の便のよい霊場です。
寺伝によりますと、その始まりは平安時代初期の大同2年(807年)、邦治居士(ほうちこじ)という人物がこの地に庵を結び、地蔵菩薩を祀ったことにさかのぼると伝えられています。
弘仁6年(815年)10月15日の未明、四国を巡錫していた一人の旅僧、すなわち弘法大師空海がこの庵を訪れました。
当時この地方では悪性の熱病(おこり、現在でいう瘧・マラリア性の病)が流行し、住民たちが大変苦しんでいることを知られた大師は、住民たちをこの庵に集められ、手にしていた杖を地面に突き立てて祈祷を行い、病をその杖とともに地中に封じ込めて、この地を去られたと伝えられています。
不思議なことに、この杖からはやがて逆さのままでも芽が出て、椿の木として成長していったといいます。
この霊験に深く打たれた住民たちは、大師の御徳をたたえてこの椿を「大師お杖椿」と呼び、信仰の対象とするようになりました。
以来、この庵は「椿堂」と呼ばれるようになり、やがてこの地方の地名にもなったと伝えられています。
あまりの喜びに住民たちが踊りまわったことに由来する「お礼踊り」は、毎年8月24日に長く踊り継がれてきましたが、大正初期を最後に途絶えてしまったといいます。
寺の歩みには幾度もの火災の歴史も刻まれています。
常福寺はもともと、少し下った新田神社の傍らにありましたが、火災により石川部落へと再建され、さらに江戸時代中期の宝暦11年(1761年)には再び全焼するという被害に見舞われました。
これを機に、椿堂の地へと合併復興され、「椿堂常福寺」として現在に至る形が整えられたと伝えられています。
幕末の安政6年(1859年)にも寺は火災に遭い、大師ゆかりの椿もこのとき焼失してしまいましたが、現在境内の向かって右側に生育している椿は、その焼け跡から再び芽吹いたものと伝えられ、今も「大師お杖椿」として大切に守られています。
老朽化が進んでいた境内の建物は、本堂が昭和59年(1984年)に、大師堂が平成17年(2005年)にそれぞれ再建されました。
新しい大師堂にふさわしい大きさの大師像を求める発願のもと、京都・平安仏所の仏師である江里康慧氏に製作が依頼され、衣にほどこされた截金の部分は、人間国宝である江里佐代子氏の手によって仕上げられました。
かつて本尊の地蔵菩薩立像の修復に携わった縁から、この製作が快く引き受けられたと伝えられています。なお、旧来の大師像は、小さきながらも大切に、新しい大師像の胎内仏として今も納められています。
立ち寄りて 椿の寺に やすみつつ 祈りをかけて 弥陀をたのめよ
2026年6月15日(月)
グランドオープン