童学寺の口コミ
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四国別格二十霊場第二番札所童学寺は、その名の由来を弘法大師空海の幼き日にたどることができます。
寺伝によれば、創建はさらに古く飛鳥時代にさかのぼり、行基によって開かれたと伝えられています。
近隣には奈良時代前期の寺院跡である「石井廃寺跡」(徳島県指定史跡)が残り、金堂と三重塔が東西に並ぶ法起寺式の伽藍配置が確認されていますが、これこそが童学寺の前身にあたるとも考えられています。
奈良時代の終わりから平安時代にかけて、幼少の空海は7歳から15歳までのおよそ8年間、この地で書道や密教の基礎を学んだと伝わります。
当寺で創案されたとされる「いろは四十七文字」(伝承によっては四十八文字)は、児童教育のために広く教えられたといい、この由緒にちなんで寺号が「童学寺」と定められたとされています。
文字を通じた民衆教育のはしりとされるこの功績は、空海の生涯にわたる数々の事績の中でも際立つものとして今日まで語り継がれています。
弘仁6年(815年)、42歳を迎えた空海は再びこの地に足を運び、伽藍の整備にあたりました。
この折、みずから厄除薬師如来(国宝)をはじめ、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天(いずれも準国宝)を彫り上げ、薬師如来を本尊として一堂に安置したと伝えられています。
日夜の祈りと誓願のうちに刻まれたこの薬師如来像こそ、当寺に伝わる現在の御本尊にほかなりません。
境内奥の逍遥園入口には、大師が筆を洗う水を求めたという逸話にちなむ「お筆の加持水」と呼ばれる泉が今も涸れることなく湧き続けています。
この水を口にすればあらゆる病が癒え、硯に汲んで書の稽古に用いれば書の腕前が上達するとも語られ、静かに大師の遺徳を今に伝える霊水として親しまれています。
時代が下って正和元年(1312年)には、津茂・松家両氏の発願による大規模な修繕が行われたことが、現存する棟札から確認できます。
ところが天正年間(1573年-1592年)、長宗我部元親の兵火によって伽藍のすべてが灰燼に帰しました。
その後、元禄年間(1688年-1704年)になって肥後国からこの地を訪れた僧・堪霊の尽力により再建がなされています。
安政5年(1858年)には、昌平校の教授であった安積信が寺の縁起を撰し、これを刻んだ碑文が境内に建てられました。
近年に目を向けると、2017年3月25日夕刻、庫裏を火元とする火災により本堂・庫裏などが全焼するという被害に見舞われました。
この際、国の重要文化財に指定される木造薬師如来坐像は幸いにも無事に運び出され、難を逃れています。
度重なる焼失と復興を経てなお、童学寺は弘法大師ゆかりの学問所として、そして御本尊薬師如来を戴く霊場として、今日も変わらぬ信仰を集めています。
まいるなら 三世の悪行 消へはてる 南無や薬師の 瑠璃の光に